あさが来たに登場するモデルとなった企業・学校・人物

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平塚らいてう
大正から昭和にかけ、婦人参政権等、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人。詳しくは→

加野屋・・・加島屋
あさが経営する加野銀行・・・加島銀行

江戸時代から続く大阪の豪商・加島屋の両替店を母体に1888年設立。金融財閥である広岡財閥の中核で、1902年には、大同生命保険の設立にも関与する。昭和恐慌のあおりを受け経営危機に陥り、1937年廃業。本店は大阪府大阪市中央区にあった。店舗網は1928年に大阪近郊以外の店舗は、第百銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)、第一合同銀行(現在の中国銀行)、大阪近郊の店舗は1929年に、鴻池銀行、山口銀行(以上現在の三菱東京UFJ銀行)、野村銀行(現在のりそな銀行)が分割承継した。
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あさが創業に参画する生命保険・・・大同生命保険
1902年7月 – 護国生命・北海生命・朝日生命(現存の朝日生命保険ではない)の3社が合併し、大同生命保険設立。 加入者本位・堅実経営を創業の精神としている。社名は「小異を捨てて大同につく」に由来。
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京都白川高等女学校
千代の通う女学校のモデルは→

山王寺屋・・・天王寺屋
大坂の元祖両替商
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今井家あさの生家の京都の豪商・・・油小路三井家
油小路通出水の小石川三井家
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蔵野炭坑あさが事業に参画する炭坑・・・潤野炭鉱
1884年(明治17年)ごろから炭鉱事業に参画し、筑豊の潤野炭鉱(福岡県飯塚市、後の製鐵所二瀬炭鉱)を買収して、開発に着手。その際、単身炭鉱に乗り込み、護身用のピストルを懐に坑夫らと起き伏しを共にしたと伝えられている。このように男もためらうような冒険的事業に敢えて乗り出したので、狂気扱いされたこともたびたびであったという。
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日の出女子大学校あさが設立に尽力する大学・・・日本女子大学※旧日本女子大学校
1896年(明治29年)、梅花女学校の校長であった成瀬仁蔵の訪問を受け、成瀬の著書である『女子教育論』を手渡される。幼い頃に学問を禁じられた体験を持つ浅子は、『女子教育論』で成瀬の説く女子高等教育機関設立の考えに大いに共鳴し、金銭の寄付のみならず、成瀬と行動を共にして政財界の有力者に協力を呼びかけるなど、強力な援助者となる。また広岡家は固より、実家の三井家一門にも働きかけ、三井家から目白台の土地を寄付させるに至り、1901年(明治34年)の日本女子大学校(現 日本女子大学)設立に導く。
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